「山奥ニート」変わり者なのか?うらやましい生き方なのか?
おそらく、多数の人々はニート暮らしの人を見て、
羨ましいとか自分もなりたいとは思わないというのが多いでしょうね。
その背景には、
労働による収入が無ければ生きていけないという社会的絶対ルールのようなものが、
根強くありますからね。
一般的に確かに労働しなければ食費はおろか水道光熱費が払えなく、
生活に直接関わってくる事態になりますよね。
その恐怖から、
人は労働収入を得る事を「ある種」強要されているかもしれないんですけど・・・。
そんな中、
田舎暮らしを夢見る若い人が年々増加しているそうですよ。
「子育てを都会ではしたくない」
「自分らしく使える時間がほしい」
「あくせくと働きたくない」。
理由はさまざまで、
田舎でニート生活を送る若者が現れてきているそうですよ。
山奥ニート住人は現在4人いるそうで、
いずれも20代の若者で、近所の住人の手伝いをして得た収入などで暮らしているそうです。
梅の実の収穫を手伝ったり、草刈りを手伝ったりと普段は力仕事が多いみたいで、
彼らを除く地域の住人はわずか8人で、平均年齢は約70歳。
住人から見たら孫ほどの世代の彼らは、若い男手として頼りにされ、
「いてくれるだけでありがたい」という住人もいるみたいで、
「最低2万5千円あれば、ひと月暮らせる」と言うんですね。
家賃が必要ないのが大きいらしいですが、
近所の手伝いだけでは生活費が不足することもあるみたいで、
そんなとき山奥ニートは、
地方の観光地やリゾート地で短期間のアルバイトをし、
必要なだけ稼いだらまた山奥に帰ってくるような“出稼ぎ”に出るんだそうです。
そんな山奥ニートですが、
「特別田舎暮らしが好きというわけではない」というんですね。
「できれば都会と同じように暮らしたい」といい、
持ち込んだパソコンでインターネットを利用しているんですよ。
ネットがあれば、山奥でも必要なものはたいてい手に入るみたいで、
「アマゾンを使えば2日で届く。ネットさえあれば、実際暮らせますよ」と。
また、
住人で漫画など娯楽をシェアすることで、暇つぶしも共有できるそうですよ。
学校に行かず働きもしない本来の意味でのニートや引きこもりを脱し、
無理せず自分に合った生活をするという面は、
親の家に引きこもっている人に比べればはるかに立派なんですが、
“その日暮らし”のライフスタイルを懸念する声もあるんですね。
たとえば、
「へき地山村で何が困るかと言うとやはり急病な時や歯の治療など医者を探す時だろうな。
診療所が相当遠いだろうし」とか、
「一度ここにハマったら、貯金もないから、都会のしごとへ逃げることもできなくなるし、
一生、農家の小間使いで、子供も持てない貧乏生活」とかですね。
またこんな意見も、
「山奥に行っても自由気ままにできないよ。
まずその地区の隣組に組み入れられて区費をとられて、わずらわしい付き合いもあるし、
若いと何でも押し付けられる。
日本では田舎ほど暮らしにくい。
自由気ままに暮らせるのは新聞配達も、郵便も、宅配も来ない電気、水道もない超山奥だ」と。
そして「定住」に縛られることに負担を感じる人もいるでしょうね。
どんな生活をおくったとしても、
段々とそれに縛られてるような感じになってきて嫌になってくるかも。
だから、
こういう人たちってたいてい長続きしないのではという意見もあるんですよ。
そもそもニートとは、
15〜34歳の未婚で、
就業せず、職業訓練、就学、家事や家業の手伝いもしていない者を指す造語なんですが、
「山奥ニート」は正確にはニートではないと思いますが、
ニート気質の人を立ち直らせるには良いやり方かもですね。
そして体は丈夫だが、事務仕事向いてないとか、
人と交渉する仕事はきついとかにはいいかもしれませんね。
手伝いだから賃金は辛いでしょうが、
極度の贅沢しなければいけそうな感じもします。
また日頃から手伝っていると
当人が病気になってもある程度は助けてくれるという、
近所づきあいが深い地域だったら存在できる生き方かも。
日本社会の特殊性で、
40才以上のニートや仕事にあぶれた人がどうやって生きていくか、
モデルは作っておく必要があるかもしれません。
地方で暮らし地域活性に貢献するリスクを取った人には、
制度や法整備をして、生きていけるように助けるべきだと思いますよ。
あなたは、
「山奥ニート」という生き方を、
変わり者なのか?うらやましい生き方なのか?
どう思いますか?
それにしても、
みんながみんなこんな生活始めたら、
そのベーシックインカムの予算になる税金は誰が納めるんだろうな?