U23日本リオ五輪決定「ドーハの歓喜」って良いもんだ♪
アジアで勝てない、ベスト8以上いけない、イラクに勝てないって言われてたけれど全て覆しましたね!
最後のゴールの時思わず立ち上がってしまいました。
内容的には押され気味なとこあったと思いますけどこういう大会では結果が全てだと思いますよ。
決して強くはないけれど、
なぜか凄く凄く応援したくなるチームですよね。
というのは、
1月26日のリオデジャネイロ五輪最終予選兼U-23アジア選手権(ドーハ)
準決勝で日本が2-1でイラクに勝ったんですね。
試合終了間際にMF原川力が決勝ゴールを決めたんです。
そして上位3チームに入らないといけないリオ五輪の切符は手に入れたんですよ。
U-23は「勝てない世代」と言われていましたが、
6大会連続となる五輪出場。
本当におめでとうございます。
今回の代表に選ばれた1993年生まれ以降の選手は過去、
各年代別の大会でアジアの壁にはね返されてきたんですね。
チーム立ち上げ後、
一昨年の仁川アジア大会や22歳以下のアジア選手権ではベスト8止まり。
昨年も振るわず、
五輪出場権を獲得する今大会の上位3位以内が危ぶまれていたんですよ。
ちなみに「U23」とは、
すでにあなたはご存じと思いますが、
サッカーのオリンピック代表選手には、23歳以下の年齢制限があるため、
五輪代表はU-23代表といわれているんです。
"U" とは"under"、(アンダー)即ち23歳以下を指すんです。
サッカーでは他にも年齢制限のある大会があり、
それぞれの代表は例えばU-19代表と呼ばれているんですよ。
今年のU23アジア選手権兼リオ五輪アジア最終予選のメンバーを紹介すると、
位置 背番号 名前 所属 生年月日 年齢 身長、体重
GK 1 櫛引 政敏 鹿島 1993/1/29 22 186、82
22 杉本 大地 京都 1993/7/15 22 186、7
23 牲川 歩見 鳥栖 1994/5/12 21 195、90
DF 2 松原 健 新潟 1993/02/16 22 180、73
6 山中 亮輔 柏 1993/4/20 22 171、65
15 亀川 諒史 福岡 1993/5/28 22 177、68
13 奈良 竜樹 川崎F 1993/9/19 22 180、77
12 室屋 成 明大 1994/4/5 21 174、65
4 岩波 拓也 神戸 1994/6/18 21 186、72
5 植田 直道 鹿島 1994/10/24 21 186、77
17 ☆三竿 健斗 東京V 1996/4/16 19 180、71
MF 8 大島 僚太 川崎F 1993/1/23 22 168、64
3 遠藤 航 浦和 1993/2/9 22 178、75
7 原川 力 川崎F 1993/8/18 22 175、72
21 矢島 慎也 岡山 1994/1/18 21 171、67
10 中島 翔哉 東京 1994/8/23 21 164、64
14 ☆豊川 雄太 岡山 1994/9/9 21 173、62
18 南野 拓実 ザルツブルク 1995/1/16 20 174、67
19 井出口陽介 G大阪 1996/8/23 19 171、69
FW 11 久保 裕也 ヤングボーイズ 1993/12/24 22 178、72
9 鈴木 武蔵 新潟 1994/2/11 21 185、75
16 浅野 拓磨 広島 1994/11/10 21 171、70
20 オナイウ阿道 千葉 1995/11/8 20 180、74
そして監督は勝った時に選手より喜んでいて、
なぜかカンニング竹山に似てると言われる手倉森誠監督なんです。
このテグ監督いや手倉森監督は、
一度だけサッカー界から身を引こうとしたことがあるんですね。
選手時代の1992年、プロ化1年目の鹿島をクビになった時で、
「故郷の青森で居酒屋でもやろうか」とやけになって足を運んだのが競馬場で、
1200万円あった全財産の半分を1日で使い切り、
翌日に負けた分を取り戻そうと残りの600万円で購入した1点買いも外し、無一文になったんですよ。
「俺は何をやっているんだ。もう死ぬしかないか」。
と思ったそんな時、NEC山形(現J2山形)から声がかかったんです。
「サッカーでもう一度頑張ろうと決心した」と。
でも酒はやめられなかったが、ギャンブルはきっぱりと断ったそうですよ。
この手倉森誠監督のモットーは、
「チーム全員で戦っていく」と。
世界中の監督の誰もがそんなふうに言うものの、
実際に大会が始まれば、ピッチに送り込まれるのは限定されたメンバーであることが多いんです。
ところがこの手倉森誠監督は、
決勝トーナメントに入ってもメンバーを固めることはなかったんですね。
特にイラン戦ではグループステージで対戦した朝鮮民主主義人民共和国戦とも、タイ戦とも、
サウジアラビア戦とも異なる組み合わせで、
おそらく誰もが予想できなかった11人をスタメンに選んでいるんです。
そのメンバーについて、手倉森監督はきっぱりとこう言ったそうです。
「今日のスタメンは今のベストメンバーというわけではない。今日、イランと戦う上でのベストメンバー」と。
これは「勝っているチームは変えるな」とも言われる中で、
本当に信頼していなければ、
これほどめまぐるしくメンバーを代えることはできないでしょうね。
勝負師であり、懐の深さを感じさせる采配を見せる指揮官ですね。
ところで、
あなたは「ドーハの悲劇」って覚えていますか?
ドーハの悲劇とは、1993年10月28日にカタールのドーハのアルアリ・スタジアムで行われた、
日本代表とイラク代表の1994 FIFAワールドカップ(アメリカ大会)の
アジア地区最終予選の試合の最後に起こった出来事のことで、
日本は開始直後の5分に三浦知良のヘディングで先制し、
後半追いつかれるものの69分に中山雅史がシュートを決めて2-1で試合を有利に進めていたんです。
刻一刻と時間が過ぎていき、このまま終われば日本の勝利は確定と誰もが思ったんですが(私も思いました)
ロスタイム、
相手選手がショートコーナーからボールを掴んでセンタリングを上げたところを別の選手がこれをヘディング、
キーパー・松永成立の頭上を超えてゴールに入ったんですね。
まさかの失点に日本チームの選手の大半は愕然としてその場にへたり込んで、
その後、ワンプレーが行われ、そのまま2-2で試合は終了したんです。
この試合と同時に他会場で行われていた試合では、
サウジアラビア、韓国ともに勝利し、
日本は得失点差で3位に転落し、予選敗退が決まったし、
結果的に試合終了間際のこの一撃が日本の本大会初出場を奪い去ったんですね。
でもテレビ東京の中継では同局史上最高の平均視聴率48.1%を叩き出したし、
この出来事は、特に大きな関心を引いて、
ますますサッカーの認知度を広める出来事となったんですよ。
そして、
今回の日本サッカーの悲劇の地として語り継がれるドーハで呼び込んだ歓喜。
手倉森誠監督は、
「日本サッカー界のことを思えばドーハの悲劇から歴史を逆転するいい勝ち方だなと思う」
としみじみと語ったんです。
また、「大和魂、魂の塊ですよ」と。
勝てない世代が「ドーハの歓喜」。
決勝は1月30日にカタール-韓国の勝者と対戦します。
まだ一試合あるんですから気を抜かないでがんばってくださいね!
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