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「教育勅語」稲田朋美が言うと批判が出るが実際「教育勅語」はよくできてる?

教育勅語が正しい、誤りとかそういうことは、
個人的には政治家が言うような話ではないのでは・・・。

 

書かれてる内容そのものは、
だいたいどんな思想も宗教ももっともなことが書かれてると思う。

結局は為政者や権力者が、
その言葉の裏になにを秘めるかでしかないのでは・・・。

 

というのは、
3月8日の参院予算委員会で、
稲田朋美防衛相は福島瑞穂らしい質問で明治憲法下の教育理念である教育勅語について
「『日本が道義国家を目指すべきだ』という精神は取り戻すべきだ」と述べたんですね。

 

この稲田朋美の答弁に対して、
教育勅語は「基本的人権を損ない、国際信義に疑いを残す」として、
1948年に衆参両院で排除と失効確認が決議されたからと資質を問う声が上がっているそうですが・・・。

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ここで「教育勅語」の12の徳目も見てみると、

 

1.親に孝養をつくしましょう(孝行)

2.兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)

3.夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)

4.友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)

5.自分の言動をつつしみましょう(謙遜)

6.広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)

7.勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)

8.知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)

9.人格の向上につとめましょう(徳器成就)

10.広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)

11.法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)

12.正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)

 

と、この素晴らしい教育勅語
今の日本人にどれくらい残っているのでしょうか?

 

そもそもこの「教育勅語」がなぜ廃止されたかというと、

「勅語」とは天皇の言葉によって国民にこのような教育をしましょうと呼びかけた物なんですが、
そのような教育は連合国の考える民主主義に反すると言うことで、
GHQ日教組が国民から愛国心天皇崇拝の思想を排除させる為に廃止したんですね。

 

天皇を中心とした思想は朝鮮支那人にとっては恐るべきものなので、
これは彼等にはない強い団結力の証だからですからね。

 

第二次世界大戦で日本は負けましたが、
だれも戦争なんかしたくなかったはずですよ。
しかし国が始めた戦争に国民が参加しない訳には行かなかったんです。

 

また、
日本を取巻く国際環境のなかでもし戦争しなければ日本はどのような状態になったのか・・・。
その答えはだれも教えてはくれませんよね。

 

今の日本は豊かで平和です。
その代償に豊かな心を置き去りにしてしまったようですよ。

 

それこそが、
戦後教育と経済成長がもたらした功と罪なのだと思うんです。
それでも一部の日本人はそれに気づき始めていますよ。

 

東日本大震災や我が郷土熊本で起きた熊本地震などでも、
多くの方が優しく温かい心を持ち働き始めているんです。(6番目の博愛とか)

(これは体験しないとわからないかもしれませんが)

 

「すてたもんじゃない」ですよ。

 

その輪が広がり、
多くの人が改めて豊かさとはなにか?

人とは?
国とはなにか?
そのような事を考えて欲しいです。

   

今話題になっている「森友学園問題」で、
幼稚園で「教育勅語」を素読させていることが問題になっているようですが、

 

稲田朋美も言っているように、
教育勅語の精神である日本が道義国家を目指すべきであること、
そして親孝行だとか友達を大切にするとか、
そういう核の部分は今も大切なものとして維持をしているところだ」

 

これは間違っていないと思いますよ。
ただ、
「アベソーリガンバレ」とかの幼稚園児を洗脳するような教育は、
道義とは正反対かもしれませんね。

 

戦時中は「天皇陛下万歳」という言葉がよく使われたようで、
戦争でも「天皇陛下のために」とか「天皇陛下のために死ねることが名誉」
であったように言われていましたね。

 

こういう感情は、
連合軍の兵士たちには理解できなかったようで、
個人主義が中心となっているアメリカ人には理解できないことでしょうね。

 

でも日本人兵士たちが戦死した時、
遺物を見たとき、そこには「お母さん・・・」という言葉はあったものの、
天皇陛下・・・」という言葉はなかったそうなんですね。

 

それで、
連合軍の兵士たちは、日本人も自分たちと同じ人間だと感じたと言われたみたいで、

戦前の教育において強力にすすめられた教育勅語の精神は、
身についていなかったのではと疑問視されますが、

 

逆に教育勅語が身についているから「お母さん・・」と言い残したと思いますよ。

 

実は戦後にアメリカが「教育勅語」の有効性を認めて、
英訳本が大ベストセラーとなり、アメリカの学校に配布された話があるんですよ。

アメリカの愛国心を形成した1つが、明治天皇の精神だったんです。
もちろん、日本由来の件は隠蔽されていますが・・・。

 

また台湾で日本語教育を受けたご老人も、
教育勅語」は自分の人生にとても重要で素晴らしい教えを受けたと言っているんです。

 

今回の「教育勅語」に対する答弁で稲田朋美が、
「何が間違っているかわからないようなものに防衛相はまかせられない」
なんて批判する人も多いみたいですが、

こんな質問をする福島瑞穂も問題だと思うし、
国会でする話か?とも思いますよ。

 

この「教育勅語」記事のコメントを見てみると、
大多数が批判して、擁護している人は少数みたいですが、
かなり他の人に追従している感じがします。

 

これはもしかすると、
「他人の視線が気になる」人が増えているからではないかと思いますよ。

 

これが高じると何でもないことでも「どうせ悪口を言われているんだ」
と自分のの中で変換されるんですね。

 

仕事が出来る人は「見られている」と感じてもまったく平気ですよ。
心身が健康な人は、他人を必要以上に気にしませんから・・・。

 

たとえば中学生が「目が合った」と喧嘩するのは、
自分のコンプレックス・心の飢餓感が「見られている」と思わせていることを感じますよ。

 

その証拠に、
満たされている人は、目が合っても笑顔で返します。

善意の解釈しかしません。
悪く考える人の正反対です。

 

あなたが「教育勅語」を、

時代遅れの旧体制時代の遺物と考えるか、

善意の解釈をするのか、

すべてはあなた次第ですね。