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軽井沢スキーバス転落 サバイバーズ・ギルトは抱かなくていい?

どこに座ったかとか、落ち方とかちょっとしたことが命を左右する。
やはり運というのはあるように思いますし、

 

生き残った人も本当に可哀想です。まだまだこれからの人生なのに。
出来ることならこの時の記憶を消してあげたいですね。

 

あなたもご存じのように、
長野県軽井沢町で15人が死亡したスキーバスの転落事故は、
乗員・乗客41人のうち15人が死亡。
バス事故としては平成に入って以降、最悪の被害となりましたね。

 

本当に亡くなった方へお悔やみ申し上げます。

 

今回は運転手が死亡していることから、
怒りの矛先をどこに持っていっていいかわからず、

サバイバーズ・ギルトという、
罪悪感、自責の念を持ちやすいと言われます。

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自分だけ助かって申し訳ないという苦悶。
私が誘わなければとか、あちらの席に座っていればといった罪悪感や後悔。

 

そして、
自分は幸せになってはいけないなどの自己否定。
次々と苦しい思いがやってくるかもしれませんが、
でも安易な慰めはしません。

 

強い苦しみを抱えた方の話を聞くとき、
私たちはつい「気の利いた言葉」を探してしまいますが、
逆にその気遣いによって相手の心を傷つけてしまうことがありますからね。

 

家族や親しい人を亡くした被災者にかけるべきではない言葉というのがあるそうです。
たとえば、

 

•きっと、これが最善だったのです。

•彼は楽になったんですよ。

•これが彼女の寿命だったのでしょう。

•少なくとも、彼には苦しむ時間もなかったでしょう。

•がんばってこれを乗り越えないといけませんよ。

•あなたには、これに対処する力があります。

•できるだけのことはやったのです。

•あなたが生きていてよかった。

•他には誰も死ななくてよかった。

•もっとひどいことだって、起こったかもしれませんよ。あなたにはまだ、きょうだいもお母さんもいます。

•耐えられないようなことは、起こらないものです。

 

こういう言葉はつい言ちゃいそうな感じですけど、
ここに上げた言葉は間違っても言わない方がいいでしょうね。

 

やはり被害生存者の苦しみなど、
同じ経験に遭ったこともない人には想像もできないほど、
深いものと思います。

 

私たちが、
「元気づけてあげなければ」
「救ってあげなければ」と身構えずに、

 

「その人の深い苦しみは想像もできない。だからこそ教えてほしい」
という純粋な気持ちで聴こうとし、

批評的にならずに全面的に受け止めて共感的な姿勢で話を聴いていると、
相手の方は「話をしたい」という気持ちになってくると思います。

 

健康管理や生活再建などの具体的支援を求める場合には、
情報やアドバイスなどの「かける言葉」が必要ですが、

 

「心」を支援する場合には、
言葉より先に、
相手に真剣に向き合い傾聴するという「姿勢」が大切なのだと思いますね。

 

こうやって信頼できる関係がもてることで、
自分の気持ちを吐き出す事ができたり、
苦しみを乗り越え、
自分自身の生活を再開するための前進をしていくことができると思います。

 

災害や事故に遭うまでに本来もっていたその人らしさや、
生きる力を引き出す援助が必要ですね。

   

それと「津波てんでんこ」という言葉はあなたもご存じと思いますが、

 

「てんでんこ」とは各自、めいめいのことで、

「海岸で大きな揺れを感じたときは、

津波が来るから肉親にもかまわず、各自てんでんばらばらに一刻も早く高台に逃げて、

自分の命を守れ」

という意味なんですね。

 

この教訓に基づき、
片田敏孝・群馬大教授(災害社会工学)の指導で津波からの避難訓練を8年間重ねてきた
岩手県釜石市内の小中学校では、

全児童・生徒計約3千人が即座に避難し、
生存率99・8%という素晴らしい成果を挙げて「釜石の奇跡」と呼ばれたそうですよ。

 

要は周囲の者をかまうよりも、各自てんでんばらばらに逃げなさい。
ということなんです。

 

この教訓を今回の軽井沢スキーバス転落事故でも生かされるなら、
サバイバーズ・ギルトは抱え込まなくてもいいように感じます。

 

ただこの「津波てんでんこ」は、

恐るべきことに、

「走って逃げられない弱い人間は犠牲になっても仕方ない。村の共同体や一族が生き残るためだから」

という厳しい現実を意味しているんですね。

 

平時においては助け合いの精神が重要だとしても、
津波のような限界状況は平時の倫理をぶっ飛ばして、

「集団のために個人が犠牲になってはいけない」
といった戦後日本の教えをもぶっ飛ばすんですね。
  

やはり限界状況においては、
人間が結局生命体であることが剥き出しになるんです。

 

敢えて言えば、
人間の野蛮な世界が展開されてしまうのかもしれませんが、

 

こういう津波や軽井沢スキーバス転落事故など、
誰が生き残るのかは、
もう人間の領域を超えていることなのだと思いますよ。

 

最後にサバイバーズ・ギルトへの対応として(世界保健機関「心理的応急処置」より抜粋)

▽体験したことを話すように無理強いせず、沈黙を受け入れる。

▽話を聞いていることが伝わるようにうなずいたり、相づちを打つ。

▽できない約束やうわべだけの気休めを言わない。

▽気持ちを落ち着かせる手助けをし、一人にしない。


私たちも生かされていることに感謝をしなくちゃいけないですね。

 

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