南阿蘇「幸せ呼ぶ青いハチ・ブルービー」どんな幸せを呼ぶの?
ハチというと嫌われることが多いですけど、幸せ呼ぶハチがいたなんて始めて知りましたよ。
それにしても、不思議だなぁ~。
青や緑を基調とした葉祥明の絵を飾る美術館に青いハチが来るなんて。
何かを分かってるんだろうか?
感じているんだろうか?
人を刺すことはないのだろうか?
というのは、
青い色をしていることから「ブルービー」 とも呼ばれているルリモンハナバチ(ミツバチ科)。
黒と青のしま模様が特徴のハチで、
地域によっては絶滅危惧種にも指定されている珍しいハチみたいで、
その希少性からも「幸せを呼ぶハチ」と呼ばれているそうです。
その「ブルービー」が、
我が郷土熊本県の南阿蘇村の葉祥明(ようしょうめい)阿蘇美術館の散策路で庭にある観賞用のバジルの花に
何匹も飛び回っているみたいですよ。
毎夏、姿を見せるんですが、熊本地震後の昨夏はあまり飛んで来なかったんで、
今年は来ないかもと心配していた葉山祥鼎(しょうてい)館長は「戻ってきてうれしい」と。
周辺は熊本地震の傷が色濃く残って観光客は少ないままで、
幸せを呼ぶとされるハチの姿に「多くの人にブルービーの元気をもらいに来てほしい」と館長は言っています。
(ブルービーを見つけれた時点で、あなたは幸せ者かもしれませんね)
●ルリモンハナバチ(ブルービー)HS(ハイスピード)動画
ちなみに、
葉山祥鼎館長のくまモンとブルービーを主人公にした絵本があるんです。
阿蘇を舞台にくまモンとブルービーが力を合わせてツリーハウスを造る物語。
くまモンたちが海で嵐に遭いながら新しい仲間と困難を乗り越える物語で、
自然に向き合い、助け合って生きるという、熊本地震で改めて気づかされた普遍的なテーマを描いたいます。
全国の書店で販売中で、(楽天ブックスでも買えます)
絵本は1500円(税別)。2作ともに売り上げの一部は熊本県に震災復興の義援金として寄付されます。
ところで、
「幸せ呼ぶ青いハチ・ブルービー」はどんな幸せを呼ぶんでしょうね。
まずこの「幸せ」の色々と語源を調べてみると、辞書には、
「幸せ=し合わせ、」ともあったんです。
これはつまり、
・何か2つの動作などが「合う」こと、それが「しあわせ」。
・自分と他人が社会で、良いも悪いも重なり合って行くことが幸せ。
どうも語源を見ますと、
・人間は、一人でいることが本当の不幸である。(独身でも良いんです。社会での触れ合いが大事の意味)
・他人と善悪も含めて、ぶつけ「合う」こと、縁を持って行くこと。
・手のシワが、他人の手と触れ「合う」、「シワ合わせ」が幸福なこと。
このような意味が「幸せ・しあわせ」にはあるようですよ。
でも、もっと深い意味があるみたいで、
「幸せ=死・合わせ」
盆の時期に「縁起でもない」と思われるでしょうが、
この理由は、
もし私たち人間が絶対に「死なない・死ねない」となったら・・・。
「絶対に死なない」となると、
極端に増長・慢心する嫌な存在に人間が自分が、なると思いませんか?
戦争も巨大化する一方だし、
社会でも自分が嫌な状態ならば永遠に苦痛が継続することになりますよね。
「変わらないこと=これほどの苦痛は無し」
となりますね。
つまり人間は、
死という非常に辛くて悲しい経験をするからこそ、逆に幸せなことも感じることが出来るのでは・・・。
我が郷土熊本で起こった「熊本地震」では、
多くの方が犠牲になったし、多くの家屋も倒壊しました。
そんな中で南阿蘇の「幸せ呼ぶ青いハチ・ブルービー」が話題になるということは、
そういう死や家の無い辛さを身近に体験し、失くしたからこそ、
ブルービーの感動するほどの美しさが幸福を感じることが出来るのかもしれません。
幸福な中にいますと、
それがアタリマエとなって何が幸福か?・・・が分からなくなって行くのが人間なんです。
それを、幸福なことを、「失くすまで」分からないのが人間なんです。
また、
他人の死を見送る、
自分が縁ある人を見送ることが出来る、
とは、自分が幸せだからこそ出来ることではないでしょうか。
あなたも経験あるかもしれませんが、
遠方での冠婚葬祭に参加するなどは、なかなか大変なことですよね。
また、自分が病気で入院していたり、職場が遠方なら死に目に会うことも出来ません。
費用が自分に無いと見送りに参加することも出来無いかも知れませんね。
他人の死を気持ち良く送って上げることが出来ることとは、
時間も費用も健康もある幸福な人だからこそ出来ることなんです。
「幸せ呼ぶ青いハチ・ブルービー」は希少ですから、見られた時は幸せを感じるでしょう。
でも、
本当の「幸せ・しあわせ」は無限に広がっているのかもしれませんよ。