美ビルド・ネットの熊本はてな?

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天皇陛下 生前退位議論「大いなる存在」に気づいてほしい?

畏れ多くも、今上天皇の生き方は、国民の尊敬に値するものです。

 

ただ陛下だから、愛されるのではなく、陛下の長年のご行動、ひとつひとつの積み重ねから、
私たちは陛下を敬い愛するようになったと思っています。

 

陛下の生き方から私たちは天皇という象徴があるべき姿を学んだし、
今度は私たちはそれに答えるべきなんですが、

天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、
平川祐弘渡部昇一など保守系の専門家と言われるセンセイ方から、

 

天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」

などと発言し、
被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、
宮中祭祀だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開したみたいなんですね。

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 また議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて、

天皇陛下は「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」と語り、

制度化を実現するよう求められているんです。

 

「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とも話していて、
政府方針に不満を示されておられるみたいですが、

おそらく皇室は黙って受けられるでしょうね。
逆に大きな愛情の視点で静観されると思いますよ。

 

これは自分たちの命を、国民にお任せするという覚悟をお持ちだからなんです。

 

しかし天皇陛下は、
誰かが国民のために「祈る」任務を負うことの重要性を自覚されています。

このためには、
ご自分の人間としての自由と人生と命を放棄されているとも言えますね。

 

皇室に反対する人や有識者会議に出て議論しているセンセイ方は、

命を懸けて、人生を捨てて国民のために働くことが出来るのでしょうか?

それとも、そんな役目自体が不要だと思うのでしょうか?

 

そもそも2500年以上も前に即位した家系が、今でも継続しているとは人類の奇跡なんです。
何が奇跡かと言いますと、
それを支えた国民が存在したと言うことなんです。

 

これは、
その国土に住む民族の「許す心」「他人を応援する気持ち」「自分が一歩引く」「他人にゆずる」・・・
大きな良心を持つ民族だということの証明なんですよ。

 

他国の歴史を見てみると、
クーデターによる暴力での支配や、
政治的な工作で大統領になる人が現状での実態ですよね。

なんと野蛮で強い者勝ちの仕組みなんでしょうか。

 

数千年も継続する家系などは、権力者には邪魔になるんですよ。
しかし日本では、
キレたような戦国大名でも天皇への態度は別でした。やはり心に感じるモノがあったんでしょうね。

 

これからの日本にも、
天皇を維持できるような「良心を持つ人々」がいることを思います(安倍政権はどうなんでしょうか?)

 

また天皇とは、個人の名前を捨てた公の名称なんです。
自分自身を世界のために捧げ、公のために尽くされる神人の名称です。

 

このような天皇という太古からの伝統を現代まで存続させることが出来たのは奇跡であり、
これは神様の神意なんですよ。

   

昨年8月に退位の意向がにじむ「おことば」を表明されたのは、
憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果なんですね。

 

被災地訪問など日々の公務と祈りによって、
国民の理解と共感を新たにし続けなければ、天皇であり続けることはできないという強い思いがあるんです。

陛下がこういう御発言をされることとは、歴史的にも重い行動であるということなんです。

 

陛下の御言葉で特に印象に残った箇所は、

天皇の務めとして、
何よりもまず国民の安寧と幸せを「祈る」ことを大切に考え、
国民を思い、国民のために「祈る」という務めに対して28年間、全身全霊をもって努力されて来たことです。

 

陛下は、
政教分離、国民の信教の自由、を考慮されて「祈り」という表現をされたんです。

でもこの天皇陛下の祈りとは、
宮中祭祀天照太御神に国民・国家・世界の平和を祈ること)における「祈り」なんです。

 

伊勢神宮は、
天皇陛下氏神神社(皇室の先祖神を祭る神社)であり、神宮の最高神官でもあるのが、天皇陛下のお立場です。

(ちなみに現在の125代の天皇陛下とは、伊勢神宮の御宮が125箇所である数字の一致しています)

 

国民の為に祈るという行為が、
ご自身の健康のために途切れることがあってはいけないという使命感がひしひしと陛下の御言葉から伝わりましたね。

国民・国家のために、
公務と宮中祭祀が途切れる懸念を陛下はご自身の「責任感」から御発言されたのが「おことば」の意味と思います。

 

それにしてもなぜ陛下が、ここまで神事に真面目なんでしょうね?

 

それは、神様のことが分からないからです。

 

分からないからこそ、真面目に尽くすのです。
それは、国家と国民のタメだと言う思いからなんです。

 

「神が分からない」とは、とても大切な態度なんです。

 

人間が見切れる神とは、それは神では無いんです。

人間が会話できる存在は、神ではなく、人間以下だと言うことですね。
その大半は、欲心が変化した動物形象です。

 

もし陛下に対して、
「神とは何ですか?」と質問をすれば、とてもお困りになられるでしょうね。

その理由は、
神について説明ができないし、口にするのも畏れ多くて嫌な感じがするからなんです。

 

神道には、”言あげせず”という、暗黙のルールが古来からあるんです。
”言あげ”つまり、神を説明したり、押し付けたり、宣伝することはしないから、

「受け取り手」が自分で判断して欲しいという潔さがあるんです。
個人の自主性と神縁に任せるわけなんです。

 

これと同じような感じで、
有識者会議のセンセイ方に「祈るとは何ですか?」
と質問してもまともな答えは返ってこないでしょうね。

 

本当に陛下に対して失礼ですよ。

 

天皇陛下はマスコミではあまり触れられませんが、
アメリカのロックフェラーやイギリスのロスチャイルドなどの2大財閥、

そして「奥の院」と言われる誰も書いたことない、
古い歴史と伝統を持つ財閥の世界的な組織とも友好を持たれていると感じます。

 

陛下の内心は、
自分を犠牲にしてでも国家と国民の存続のために友好されていると思いますし、

今までの日本の安定は、
近代2代の天皇陛下による隠れた水面下での外交努力の御蔭だと本当に感じています。

 

いずれにしろ、
言葉では説明出来ない「何か大切なもの」「人類が守るべきもの」・・・・
このような片鱗を、多くの日本人が天皇に対して本能で分かっています。

 

これが分からない日本人も、1割以上もいるかも知れません。
しかし、これで良いでしょうね。

 

大切なことは、

この「大いなる存在」はすべての人類の右胸にも宿っているということ。

 

つまり、

天皇に抱く思いとは、人類が神様を求める哀愁に通じるものがありますから、

 

日本人が天皇を維持し、

自分の「大いなる存在」を意識すれば、すべては治まって行くと感じます。