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男性学「男は働かなければならない」という文化はひっくり返るの?

我が郷土熊本県の「熊日新聞」の「読者ひろば」というコラムを読んでいたら、
こんな記事があったんです。(以下引用しますが)

 

「夫とは父とは 男性学学んで」阿蘇市の知里口香穂里さんという39歳農業の方の投稿で、

 

「夫の結婚相手に求める条件、『仕事をし、収入があること』でした。
共稼ぎということは、
家事育児の協力が必須であることはしっかり話し合いをしての結婚でした。

頑張って『イクメン』になる努力はしてくれています。
その夫も、ことあるごとに、
『男は仕事をせないかん。子守は男のすることじゃない』と言います。

頭では理解していても、根付いてしまっている
『男は働かなければならない』という文化は、簡単にひっくり返りません。

 

女性が妻となり母となっても働き続けられる社会環境は少しづつですが整いつつありますが、
男性が夫となり父となったときの環境は『イクメン』という役割が増えただけで、
あまり変わっていません。
今後、取り組むべき課題だと思います」と。

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男性学」という言葉を今まで私はあまり意識していなかったんですが、
この方の記事を読んで興味が湧いたのでちょっと調べてみることにしました。

 

そもそも「男性学」とは、
田中俊之という人が言うには(男性学を専門として『男性学の新展開』などの著者があるみたいです)
男性が男性であるがゆえに直面する悩みに着目する学問だそうで、

 

この人が「男性学」を研究しようと思ったきっかけは、
大学時代の就職活動みたいで、
学内には真面目な人、バンド活動ばかりで大学に来ない人などいろんな男子がいたのに、

就活の時期になるとみんな一斉に髪を染め直し、
リクルートスーツを着て、同じ行動を始める様子を見て不思議に思ったそうです。

 

就職すれば、基本的に40年間フルタイムで働くことになるんですが、
現在の年金支給年齢は65歳で将来的に年齢が引き上げられれば、
その分だけ余計に働くことになる。

これって重大なことで、簡単に決断できることではない。
しかし多くの学生が、その事実を葛藤なく受け入れている。
同時に、
みんなに同じ行動をさせる社会の仕組みに関心を抱いたことがきっかけだったそうです。

 

そして男性の価値が仕事に集中してしまった大きな要因は、
高度成長期に、
男性が雇われて働き、女性は専業主婦になるというのが主流になり、

このときに「男性稼ぎ手モデル」が完成し、
男性が家族の中で果たす役割はお金を持ってくることになったため、

「男が仕事、女が家庭」というモデルの社会では、
男性の評価は必然的に仕事になったみたいなんですね。

 

男性は「働いてさえいれば自分は家庭での役割を十分果たしている」と言うことができ、
それが男性にとっての価値だと信じる価値観が通用したんですね。

 

でも最近の男性は、
共働きでなければ家庭の維持が難しいという問題が出てきて、
家庭に自分の時間配分を割かなければいけないようになったみたいなんです。

 

これは女性の投稿の、
 「夫の結婚相手に求める条件、『仕事をし、収入があること』共稼ぎに繋がるんですが、

これは男性全体の給料の低下や雇用の不安定さという問題に繋がるみたいで、
ある程度共働きをやらざるを得ないという状況なんでしょうね。

   

それと男性の生き方の選択肢が限られていることもあるかもしれません。
一般的に、
大学卒業、結婚、定年という、ワンパターンしかありませんよね。

 

そして子育てが忙しい時期と、出世レースの答えが出るような30代~40代の時期が重なって、
家族全体を豊かにしようと思えば、

自分がある程度出世コースに乗っていた方が有利なんですが、
そうして競争の中に巻き込まれていると、
当然家族に対するケアが出来なくなってしまって「イクメン」どころでは無いというのが現実かもしれません。

 

これじゃ男性は非常に苦しいですよね。

 

この苦しさはもしかすると、
「自分の性別にある」のかもしれません。

 

収入が少ない苦痛や結婚できないのではないかという不安の源は、
「男性が一家の大黒柱にあるべき」という考え方が源みたいですよ。

お金がないことが苦しい、
お金がないことに問題があると思いがちなんですが、

 

どうしてお金がないと困るのか? 
何がそう思わせているのか? 
を考えていくと、

 

「自分は男性だから」と、
自分の性に原因を求めてそれが問題だと気が付くべきかもしれませんが、

 

こういう悩みに対処する「男性学」が男性のためにあるのは良いことと思いますよ。
でも男女分ける必要はあるのだろうか・・・。
という疑問も湧きます。

 

女性の楽しさ、苦しさの「女性学」を男性が学び、
苦しい「男性学」も女性が学ぶべきかもしれません。
もしくは一緒にですね。

 

そうすると、
従来の男らしさと女らしさ、言い換えてしまえば、

「決断力が求められる指導者らしさ」と「これを支える参謀らしさ」という言葉に置き換えると、
男社会の絆や、夫婦の絆、兄弟や親子の絆などの共通する法則がわかるかもしれませんよ。

 

たとえば、
安倍総理が指導者であれば、菅官房長官は良い女房役と表現されますし、
名投手と名捕手のバッテリーも同じように表現されますね。

 

夫婦であれば、
男を指導者として置くならば、女は参謀でなければならない。男女が逆であってもよいですよね。

 

指導者は参謀を信頼し、参謀は指導者を尊敬する。
言葉は違いますが、
信頼も尊敬も本質的に意味は同じですし、立場の問題に過ぎないですよね。

 

この立場も定期的に入れ替わってもよいと思いますが、
互いの万能性が求められますね。

 

また、指導者が不在のとき、参謀は指導者を代行せなばならないです。
たとえば、
夫が留守の際に、妻が子育てをすることは指導者の代行に相当する参謀の役目でもありますね。

 

ちなみに、
女が指導者であり、男が参謀である夫婦は、かかあ天下かも?

 

でも最近は指導者たる男が減り、参謀たる女も減っているみたいですよ。
これが未婚率増加の本質的原因かもしれませんが・・・。

 

男性には決断力がなく、先見性もなく、それらを磨く努力さえしない者が増えているみたいですし、
また、
女性も同様に努力を怠りながら、男尊女卑だとわめきたてて、

我がままに育ち、何もできない、何の役にも立てないだけの男女が増加して、
指導者にも参謀にもなれない者たちが増えて、
指導者と参謀でなければならない人間関係が破綻しているみたいですよ。

 

いずれにしろ、
「男は働かなければならない」という文化にこだわらず、
男性も女性も見えない縁で引き合った「お互い様だった」というのを認識し、

 

もしあなたが今の苦しい環境を脱出したいと思うなら、

まず、それでも生活が出来ること。

それでも、生かされていることに感謝の心を取り戻すことから。

これを始めてみるといいかもしれませんよ。

 

そうすることで、

色々なことが見え始めて、自分に「気付き」と「知恵」が湧いて来るかもですよ。