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尾崎裕哉 尾崎豊に似せてないのに似てる?

神格化された人の息子だから、常人には考えられない苦労や葛藤があると思う。
しかしそれに敢えて正面からぶつかり、父と同じフィールドで勝負するのは凄いこと。

 

父の歌を自ら歌い、オリジナルの曲も歌う。
こんなジャンルは、
おそらくこの人にしか出来ないから、是非頑張ってもらいたいと思いますよ。

 

というのは、
7月16日に生放送されたTBS「音楽の日」で、
初めて出演したテレビ番組で、父・尾崎豊の「I LOVE YOU」と、
自身のオリジナル・ソング「始まりの街」を歌った尾崎裕哉。

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この尾崎裕哉の記事に対するコメント(467件)の一部を引用すると、

 

・豊さんの妻は、あの時、いろいろ言われていたが、
 息子さんをしっかりと育て上げたんだと結果が物語ってる
 豊さんは、尖った感じもあったけど、裕哉さんは、しっかりと優しい感じですね
 声こそ似てますが、性格は違うね
 その裕哉さんの個性で歌っていってほしいなと思います

 

・プレッシャーもあるだろうしこれからが大変だと思いますが、
 負けずに頑張ってください。尾崎豊ファンとしても応援します。

 

・幼子を抱えてアメリカで大変だったと思うが、お母さんが愛情一杯に教育したから、
 このように育ったのだと想像しました。

 

・いろんなコメントがあるけど、その人の性格や生い立ちがもろに出てますよね。
 2世、親の七光り、
 そんなことも言われるの分かった上で自分の宿命を受けいれる裕哉さんの器量、立派です。
 尾崎裕哉さんらしく、お父様を越えていってください。応援してます。

 

尾崎豊…好きでした。正直詩の内容よりも彼の声質そのものが心に響いてたような気がします。
 だから息子さんの声がまた似てましたよね…
 歌を通して何か彼にできる事はあると思いますので、良い方向で頑張っていただきたい。

 

・尾崎が持っていた暗い影のようなものは感じない。輪郭が似てるけど目元が違う。
 目が似ていたら見ていて辛くなったかも。
 リアルの父親を覚えていないこと、アメリカで育ったことはよかったと思う。
 いまだに思うのだけど、
 繁美さんは尾崎を最後まで好きだったの?大楽さんの本だと冷たい人に感じるのだが、どっちなの¨

 

・時代が産んだ天才だったと思う。息子は違う生き方をするのは当たり前だ。
 年齢について父親のことを言っているが、精神年齢が高かったというより、
 まれにみる純粋度が高い人だったと感じる。

 

尾崎豊は26歳で亡くなったのでそれ以降の彼を見ることができない。
 もちろん彼自身の今後なんだけど、彼が頑張ることで
 「尾崎豊の27歳以降」を彼に見いだせることができるような気がするので
 そういう部分でも頑張ってほしいと思いますね。

 

・社会風刺や反社会的な曲が多いけど、やさしくていい曲もあった尾崎豊。 
 息子さんはやさしい曲が多くなりそうな感じがした。

 

・青春のど真ん中に尾崎の存在と歌があった。でも、正直理解出来ない詩が多かった。
 それは俺がガキで尾崎が大人だからだと思っていたが
 オッサンになった今でも結局理解出来ないのが多い。

 

と、ほんの一部ですが、
尾崎裕哉に対する激励が多いですね。

   

26歳の若さで死んだ尾崎豊の死因といえば、
公式には大量の覚醒剤服用(オーバードース、薬の多量摂取)による
急性メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫と結論付けられて事故死と処理されていますが、

 

死の直後も紆余曲折があって、
警察は当初事件性がないので、行政解剖にまわそうとしましたが、
千住署、警視庁、検察庁が発見当夜に協議した結果、

 

全身にすり傷があり右目の上にコブもあることから、
司法解剖に切り替えられ、東京監察医務院の医師らによって検視、その後解剖が行われているんです。

 

その結果、
死因は肺に水がたまる肺水腫であると発表され、
極度の飲酒によるものだと考えられましたが、

 

2年後にマスコミに「死体検案書」なるものが流出し、
そこには覚せい剤検出に言及する表現があったことから、
当初報じられた司法解剖の結果に疑いがもたれたんです。

 

その後、
フライデーが尾崎の遺体を掲載したことも一気に他殺説に火をつけました。
ファンの間のみならずあなたも見たかもしれない今でも有名な写真ですよね。

 

それと根強かったのが自殺説です。

ジャーナリストの加賀孝英氏は1994年にすでに尾崎の遺書の存在を知っており、

尾崎の妻の繁美から
「子供が大きくなるまで公表を控えてほしい」とあったため、長らく公にはなりませんでしたが、
2011年に文藝春秋に全文が掲載され話題となりましたし、

 

繁美夫人による殺人依頼説なんてのもありましたね。

夫人による殺人説を主張したジャーナリストそれを取り上げたTBSは、
夫人との裁判に敗訴し、番組も放映されなかったんです。

 

公には夫人の関与は否定されていますが、
尾崎豊の死は繁美によるものだと信じているファンがいまだにいるんですね。

 

たしかに、尾崎豊が逝去したあと、
尾崎繁美が遺産相続の件で尾崎豊の父と争ったりと、
いろんな行動が目立ちましたから、疑ってしまう人もいたでしょうね。

 

こうした嫌疑をかけられたためか、
息子の成長過程に悪影響があると判断したためか、
尾崎繁美はそうそうに日本から出ていってしまい、

飛び立った先はアメリカのニューヨーク。
5歳とまだ幼い尾崎裕哉を連れて、海外で暮らすことにしたんですね。

 

そして高校生の時帰国して、
アメリカンスクール・イン・ジャパンという高校に転入し、
慶應義塾大学環境情報学部に入学し、

卒業後はラジオDJや会社員を経て、
2015年10月から大阪で行った初ライブで音楽活動を開始したんですね。

 

将来の夢は「Social Entrepreneur」で、
人種・貧困・環境などの社会問題を“音楽”という手段で解決したいという志を持っているようです。

 

いずれにしろ、

尾崎裕哉は七光りで二世でも良いと思いますよ。

 

あの感性を今の時代に引き継がれたDNAで聞けるのはすごいことだし、

どんどんオリジナル曲を出してたまに父親の歌を新しいアレンジで歌って欲しいですね。

お母さん大切に!