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「潜伏キリシタン」世界遺産に登録 隠れキリシタンじゃダメだったの?

日本での世界遺産に22件目(文化遺産18、自然遺産4)である、
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本の12資産)の、
世界文化遺産登録を決定されて良かったですね。

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日本でキリスト教が禁じられた時期に、民衆が約260年にわたり独自に信仰を継続した歴史が、
世界遺産にふさわしいとのことで、

 

「島原・天草一揆」の古戦場である「原城跡」(南島原市)や、

信徒が処刑された無人島で聖地として崇拝された「中江ノ島」(平戸市)、

潜伏信徒が暮らしていた9件の集落と集落跡、

現存する国内最古の教会で国宝の「大浦天主堂」(長崎市)などで構成されているそうです。

 

世界には今なお信仰の自由がない国がありますし、
宗教の違いによって迫害や差別にさらされている人たちがいますね。

信仰を隠しながらも粘り強く継続し、最終的に信仰の自由を得た潜伏キリシタンの物語は、
きっと世界中の人を力づけるでしょうね。

 

そんな世界文化遺産への登録は喜ばしいかぎりなんですが、
この「潜伏キリシタン」ということばに、あれ? っと思ったのは私だけでは無いと思いますよ。

 

隠れキリシタン」なら聞いたことあるけれど、「潜伏キリシタン」はあまり聞いたことないですもんね。

どう違うんでしょうね。

その説明に入る前にここでざっくりと日本のキリスト教の歴史を調べてみると、

 

あなたも歴史で学んだことがあると思いますが、
イエズス会フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えましたね。

 

それが16世紀半ばのことで、
そののち江戸初期(1614年)に禁教とされ、明治初め(1873年)に信教の自由が保障されるまで、
じつに260年間、キリスト教の信仰は禁じられてきたんです。

 

「潜伏キリシタン」とは、
この長きにわたる禁教時代に、ひそかにキリスト教の信仰を続けていた人々のこというそうで、

 

一方の「隠れキリシタン」は、
禁教が解けた明治以降も、潜伏キリシタンである先祖代々の信仰を継続していた人々のことをいうそうですよ。

 

長い間、仏教や神道を隠れ蓑にして信仰してきた結果、
隠れキリシタンは独自の宗教に変容したみたいで、

欧米の教会から牧師が派遣されたが、
教義に差異があり、「ニセ牧師だ」と追い返された事もあったそうですよ。

 

欧米のキリスト教徒たちは、
「よくぞ、宗教を守った」と賞賛しての世界文化遺産なんでしょうけど、
この辺りの事を理解しているんでしょうかね?

   

この「隠れキリシタン」の人たちは、
ずっと待ち望んできた信教の自由を得たというのに、カトリックに復帰することを選ばなかったんです。

 

ある集落では、
禁教下での取り締まりのなかで起きた騒動をきっかけに、
カトリックに復帰する者と旧来の信仰を続けざるを得ない者との2派に分裂してしまったそうなんです。

 

また寺請制度にしばられてきた潜伏キリシタンたちの中には、
寺の檀家をやめることで村八分にされてまわりから孤立することをおそれ、
復帰せずに隠れキリシタンとして生きることを選んだ人たちもいるんです。

 

カトリックに復帰しようとすると、
井戸や墓地を使わせないなど、いわゆるいじめのような締め付けが行なわれたところもあったそうですよ。

 

たとえお上が許したといっても、それと村の掟は別で、
大っぴらにキリシタンと名乗るのにはやはり支障があったようなんですね。

 

日本は意外と差別的ですもんね。

 

それにしても、なぜキリスト教が禁教になったんでしょうね。

なんでも、
植民地支配や奴隷貿易を目的とした布教に危機感を抱いた秀吉が国を守るために禁止にしたみたいで、

 

その当時ヨーロッパに行った視察団が、
裸で売られている日本人女性が奴隷として人身売買されているのを見たんですね。

 

宣教師とグルになって、マインドコントロールして改宗させ人身売買。
これがキリスト教を禁止された本当の背景みたいですよ。(教科書ではまず教えないですね)

 

そんな歴史的背景は別として数百年前から、
受け継いだものを守りきった地域は世界遺産の価値はあると思いますし、

今回の世界文化遺産登録に向けて、禁教時代の歴史的背景を伝えるために、
隠れキリシタン」ではなく「潜伏キリシタン」という名称が用いられてもいいのではと思いますよ。

 

ところで、あなたにもキリスト意識は、
「赦し」「許容」の意識として、全ての人類の魂と共に宿っていますし、

 

釈迦意識は、
「慈悲」の意識として、仏教に関係していない西洋人の魂にも宿っています。

 

でもキリストを信仰していても、
この「赦しの気持ち」が自分の意識の表面には、なかなか出てきませんね。 

キリスト教を国教にしていても、現実には個人も国にも、闘争が消える事はありませんよね。

 

そんなあなたの心に宿るキリスト意識を感じるには、
やはりあなたはどこから生まれたのか考えるべきかも。

 

どこから生まれたんでしょうか?

母親ですね。 

 

では母親は、どこから生まれたのでしょうか?・・・

 

人類発生以来、一度も途切れなかったバトンリレーが、今の「あなた」なんです。

あなたには、遺伝子的にも全ての先祖を宿しているんです。

 

この先祖への「感謝」「リスペクト」が無ければ、自己存在を否定することになるんです。 

 

自分を否定していては、

絶対に「心の幸福感」を得ることは、何時まで経っても出来ませんからね。

 

いずれにしても、

今回の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界文化遺産登録、

おめでとうございます。