美ビルド・ネットの熊本はてな?

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「死刑制度廃止」を掲げる日弁連だがべつに日弁連が決めることじゃない?

自分の家族などが被害にあわないと理解できない。
たとえ経験せずとも、全てを理解できずとも、
その人の立場になって物事を考えると、安易に廃止しろと言えないと思いますよ。

 

むしろ、
「殺人犯を生かしておく理由」
「殺人犯を社会に戻す理由」を説いて欲しいですね。

 

というのは、
日本弁護士連合会(日弁連)が、組織として死刑制度の廃止を掲げる方針を固めたそうで、
10月の「人権擁護大会」(福井市開催)で、宣言を提出するそうですよ。

提出するのは、
「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言案」。

 

被害者支援の重要さを説いたうえで、
「残酷な罪を犯したとしても適切な働きかけで人は変わりうる」と指摘し、

刑罰制度は「犯罪に対する報い」だけでなく、
人間性の回復と社会復帰を目指すべきで、
それが再犯防止や社会全体の安全につながると強調しているんですが・・・。

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この記事に対するコメントの一部を引用すると、

 

・道化師 この記事は犯罪者の事に殆ど触れていない。
 被害者感情にフォーカスを当て、現実逃避した被害者が勝ちとでも言いたげ。

 

・殺して人に選択を出来なくした奴に選択肢があるって不公平だよ。
 自然の理不尽不公平から身を守る為に社会を作っても
 そこで新たな理不尽不公平が生まれるものなのかな…

 

・加害者の人権は守るのに被害者の人権はどうなるのだろうか? 
 それにこの人は自分の大事な人が殺されても同じことが言えるのだろうか?

 

・遺族のことを抜きにしても死刑賛成だ。
 死刑宣告受けるような犯罪者が何十年かしたら出てくるって怖いにもほどがある。
 犯罪者より国民の安全が大事でしょ

 

・そもそも逆でしょ「犯人が死刑になって感情がおさまる」んじゃなく
 「近親者が殺され犯人は生きてるという最悪の状況の社会的改善」

 

・他人の人権を蹴った存在になぜ人権が存在するのか。
 やり直し効かない重篤な被害を受けた被害者がいる一方で、
 犯人には更生のチャンスをだなんて、ムシがよすぎないか。

 

・「最期に人として処する」ってのも、考え方によっては慈悲だねぇ。
 ヒトじゃなければ裁判すらなく殺処分だものね。

 

・何で人を殺したのに、こいつ生きてんの? この一言に尽きるような気がする。
 死刑が殺人だけとは限らないけどね。

 

・死刑囚を生かしている分のお金を貧しい人間に回せばいいのにっていうのはかなり納得できる 
 一人の人間の衣食住のサポートができるほどの税金、無駄遣いにも程がある

 

・死刑制度を考えるとき被害者と加害者の二極だけで考えるべきじゃない。
 民心の安定という目的にも着目すべきだ。

 

・正しくは「死刑廃止で凶悪犯罪率が変化しない」だね。
 廃止したら減少するはずないから。極刑が消滅するのに。

 

と、世論調査通りのコメントが多いですね。

 

ちなみに死刑制度の是非について、大規模に行われた調査に、
平成26年度の「基本的法制度に関する世論調査」(内閣府)があるんですが、

 

それによると、

「死刑もやむを得ない」と答えた者の割合が80.3%、

「死刑は廃止すべきである」は9.7%。

 

8:1の差はすごいですね。
他の調査でも、日本のの死刑制度は一貫して支持されているんですね。

 

また日弁連は「死刑は廃止」を世界的潮流とか言っているみたいですが、
死刑が無い代わりに「逮捕なしの射殺」をアメリカもイギリスもフランスもロシアも、
している事を忘れてないか?と言いたいですね。

 

またカナダやフランス、イギリスでは死刑廃止後、殺人が急激に増えたし、
アメリカの州で死刑を廃止したところ凶悪犯罪が逆に増加して死刑制度を復活したそうですよ。

   

今年の6月にノルウェーの首都オスロで、「第6回死刑廃止世界会議」が開催されましたね。
ノルウェーは、1人の男性によって、
2011年に77人の命が奪われた連続テロを体験していますね。

 

ブレイビク容疑者に対する禁錮21年が「最高刑」であり、
刑務所での生活が他国と比較して「快適すぎる」のではないかと、
国外から驚きをもって受け止められることがよくあったそうで、

当時、ノルウェーでは、
事件のために国の制度や価値観を変えることは、
「まさにブレイビクの思う壺になる」と、

 

憎しみに対して、
さらなる憎しみで向き合うことを政治家や世論は拒んだそうです。

刑務所の環境が快適すぎるのではないかという声はあるが、
死刑を望む世論の動きはみられないんです。

 

ノルウェーでは、
刑務所は「罰する場所」ではなく、
「社会復帰をするための場所」と考えられているそうですよ。

 

そんなノルウェーみたいな国もあれば、
死刑廃止に反対する」デモまでした台湾みたいな国もあるんです。

この台湾の主催団体の理事長はデモについて、
「次の世代を守るため」と強調し、

死刑廃止に反対することは子供を守ることだ」
と主張しているんです。

 

ここで唐突ですが、
小説家コリン・ウィルソンの『殺人百科』の中にある死刑廃止論に関する一節を引用すると、

 

「(死刑廃止の是非をめぐる問題は)殺人者が死に値するかどうかではなく、
暴力に基づいた社会に対する効果の問題である。

それは熊をいじめることを禁じたピューリタンに対比できる。
彼らはそれがクマに苦痛を与えるからではなくて、人々に快楽を与えるので反対したのである」

 

つまり私たちは暴力を恐怖し嫌悪しているにもかかわらず、
時と場合が変わるだけで暴力を受け入れ、
時にそれが行使された結果に興奮や爽快感を覚えてしまうんですね。

 

あなただって殴られるのは嫌だろうし、
暴力って最悪!と思ったりすこともあると思いますが、

 

バイオレントな映画には血沸き肉踊っちゃうし、
悪人がボッコボコにされれば「すっきりした」と思っちゃう自分を否定できませんよね。

 

いわば観客は、
「この世界から暴力が無くならない理由」を自分の中に見出してしまっているのかも。

 

その良い例が、
身内が殺人事件被害者になった人権派弁護士は、
あっさり死刑肯定派に鞍替えしたみたいですよ。

 

ただ冤罪はあってはならないですよね。

 

死刑を受けた人の中に冤罪があったかどうかなんて全員に真実がわかるものではないし、
取り調べの手法、手続きのシステム、科学の状況、裁判システムなどを分析し、
冤罪は100%なくせるというところまでいかないとですね。

 

本来は100%人権回復不可能な死刑は存置をとりやめるべきではないかと思います。
死刑でなくても冤罪による拘留等での失った人権の回復は完全にはできないし、
冤罪は確実になくせる状態を作ることが必要と思うんです。

 

でも、
刑罰として死刑の存在については肯定します。
 

身勝手な殺人者等、到底社会から抹殺されるべき人間は処罰してほしいからです。
抑止力だとか何とかはどうでもよく、
許せない犯罪者への処罰感情の一点に尽きますね。

 

いずれにしろ、
日本の死刑制度でも大切なことは、

 

法務大臣が死刑執行のサインをするかどうかが常に問題にされていますが、
死刑を執行する人間や命じる人間が、
何のためにするのか?ということと思います。

 

日本では、
罪を犯した悪人の人権問題ばかりが取り上げられますが、
被害者やその家族の人権は大切にされているのでしょうか?

 

被害者の無念や、新たな被害者を防止するために、
またそれで給与を得て自分の家族を食わすために、
すべてを納得した人間が自分自身も傷を負うことを覚悟でするべき事でしょうね。

 

最終的には執行者の良心が、その善悪を最終判断するのでは・・・。