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「第154回芥川賞・直木賞」決定 賞の格が下がってしまった?

もう次の芥川賞が決まったのか・・・。
時が過ぎるのは早いですね。

 

と思っていたら年2回この「芥川賞直木賞」はあるんですね。
年2回あることを知らない人がいるのも多いと思うし、
それだけこの賞の持つ意味も小さくなってきたってこと?

 

日本文学振興会は1月19日、
「第154回芥川賞直木賞(平成27年度下半期)」で、

 

芥川龍之介賞に、
滝口悠生氏の『死んでいない者』、
本谷有希子氏の『異類婚姻譚
の2作品を選出し、

 

直木三十五賞は、
青山文平氏の『つまをめとらば』
に決まったそうです。

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滝口悠生氏の『死んでいない者』は、
祖父の葬式の話で、
祖父の葬式に集まった故人の息子や孫やひ孫たちについて描いたもので、

 

この小説には川が出てくるんですが、
題材的に三途の川を連想してしまうんだけど、

「死んでいない者」の川の向うにあるのは、
神聖なものではなくラブホテルなんです。

川の向う側が、新しい命が生まれる場所、
しかも俗、というのが「死んでいない者」という小説の態度を象徴しているようですね。

 

本谷有希子氏の『異類婚姻譚』は、
「ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気が付いた」
という一文から始まる夫婦奇譚なんです。

 

長年連れ添った夫婦は次第に似て来るといわれていますが、
妻の「私」を「サンちゃん」と呼ぶ旦那は、
稼ぎがいい分、家では完全に脱力していて、

真面目な話を一切しようとせず、毎日テレビのバラエティー番組を3時間も観る。
旦那のおかげで「私」は働かなくて済んでいるのだが、

 

ある時ふと気づくと、
旦那の目鼻が緩んで崩壊しており、人間の顔ではなくなりかかっていたんです。
驚きながらも、それにもすぐ慣れていく「私」。
やがて夫婦の関係は、奇妙な反転現象を起こしていくという内容なんです。

 

青山文平氏の『つまをめとらば』は、
時代物で藩に仕える武家が主人公の恋愛もの短編集で、

 

自分から縁を求めたり、積極的に夫を助けたり、子供さえいれば男は無用とか、
昔の貞淑に耐え忍ぶ妻というイメージとは違うみたいですね。

 

そして最後の「つまをめとらば」は、
隠居して独り暮しの主人公が妻と添うことの大変さを振り返り、
幼馴染みとの心やすい平穏の暮らしに安堵し、
結婚を決めかねている幼馴染みへの想いは複雑・・・。
女の人のバイタリティを書いている?

 

この最も有名な文学賞である直木賞芥川賞
著名作家への登竜門、といったようなイメージがありますね。

 

受賞すれば一生「芥川賞作家」「直木賞作家」とよばれ
「その作家の本」というだけで直接受賞した作品でなくても
多くの人がその本に注目する
そのくらい、特別な賞なんですね。

 

芥川賞直木賞の選考会はそれぞれ年に2度ずつで、
どちらも日本三大料亭のひとつの新喜楽というところで行われ、
芥川賞は1階、直木賞は2階だそうですよ。

 

選考基準は、
芥川賞は無名・新人の作家の純文学作品が対象
直木賞は無名・新人の作家の大衆文学作品が対象

 

それぞれ年に二回、
上半期と下半期に選考会が行われ、
上半期は7月、下半期は1月です。

 

純文学作品対象の芥川賞ではその形式や芸術性が、
大衆文学作品対象の直木賞では、
その娯楽性や商業性が基準とされ、評価されるものとされているんですね。

 

そして一度どちらかの賞を受賞すると、
以降その作家の作品は両賞の候補から外されてしまい、
芥川賞直木賞をダブル受賞することはできないようになっているんです。

 

芥川賞直木賞の賞金と賞品は、
両方とも同じで、
ロンジン(LONGINES)というブランドの懐中時計と、
賞金(副賞)は100万円だそうで、

 

この賞金100万円というのは最も歴史と権威のある文学賞である
この両賞にしては少ない気はしますが、
 
作家の方々からすればそれに付随してくる、
名誉や知名度の上昇の方が遥かに大事なんでしょうね。

   

ところで、
現在の評価・感覚では、
芥川龍之介直木三十五を並べて置くのは無理があるように感じるんですね。
 
私も芥川龍之介の作品は何冊か読んでいますが、
直木三十五の物は一作も読んでいないんですよ。

 

この二人の名前が文学賞に冠せられた理由の一つは、
当時の知名度によるものだそうです。
 
芥川龍之介についてはかなり知られた作家だったでしょうが、
現在のように日本人なら中学生でも大抵その名前を知っている。
と言う程ではなかったみたいで、
 
一方直木三十五の方は、
映画制作活動などを積極的にやっていて、
当時の一般的な知名度は芥川龍之介よりも高いくらいだったのかも。

 

もう一つ大きな理由は、
両賞を創設した文藝春秋社主・菊池寛にとって、
二人がともに大切な友人だったそうで三人は学年で言えば同級生となり、
 
芥川龍之介とは、
一高時代からの親友で葬儀の際には弔辞を読んでいます。

直木三十五とは、
映画制作活動を長く一緒にやった“同志”なんですね。
 
両賞は芥川龍之介の死後8年後・直木三十五の死の翌年の1935年に設けられましたが、
菊池寛の亡き友二人への思いを込めた命名だったそうです。

 

またよく言われる様に純文学と大衆文学を代表するという意味でも、
二人を選ぶのは据わりが良かったのでしょうね。

 

この芥川賞直木賞は現在も半年に1回ですが、
それだと無理やりでもこの人にみたいな感じになるような感じもするし、

 

このままでは芥川賞直木賞の凄さが伝わらないかも。

本当にみんなが良かったと思える作品を選ぶべきで、

そんな作品が無いのならその賞は与えてはならない方がいいかも。

 

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