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松野頼久は橋下劇場のわき役に過ぎないの?

熊本で政党の代表になった人は少ないと思いますが、
維新の党代表の松野頼久もそのひとりに数えていいのか迷うところですが、
ようわからん・・・。

 

最近は「大阪維新の会」の橋下徹代表が、
維新の党を解散し、残りの政党交付金を国庫に返還する考えとか言っているみたいですが、

この記事のコメント(205件)の一部を引用すると、

 

・問題の発端は、柿沢が共産党議員の選挙応援に行ったこと。
 これに対し、橋本・松井が抗議の辞任表明後、間髪入れずに松野が
 岡田と合流も含めた会談をしたこと。
 
 この一連の幼稚さとアサマシサと政治センスの無さに対する橋本の反撃は当然の行動と言える。 
 私は橋本支持者ではないが、解党して次回の選挙で国民の審判を受け直す考えに賛同する。
 国会は政治家の生活互助会の場ではないと思いますが。

 

・これは橋下さんの高等戦略。
 一旦、橋下さんの名声を利用して成り上がろうとした関東のクズ議員を仲間に引き込み、
 大量処分する。本当に感服した。関東系の維新はもう二度と立ちあがれない。
 
 同時におおさか維新の会と橋下さんの人気は全国的なものとなる。
 橋下さんは去年からこうなることを予測して入念な準備を進めていた。
 まさに計画通りだ。それが理解できないやつはアホだ。

 

維新の党を作った責任はちゃんと感じていたんですね。
 維新の党が今のようになった責任は?あなたが今の維新も作ったんですよね。
 維新の党を抜けた責任は?あなたが抜けたから分党騒ぎになったんですよね。
 
 複数の議員に維新の党を抜けさせた責任は?
 党は分けませんと言って結局新しい党を作って実質的に分けましたよね?
 そのあたりの責任も、詳しくもっと説明してほしいです。

 

・作ったのは橋下さんですからね、
 責任も橋下さんにあると思いますが
 最後に解党とはびっくりしました
 政党助成金欲しさにゆかいな仲間たちって作った人の意見も聞いてみたいものです

 

・あくまで橋下氏が本気で言っていることが条件だけど、
 捨て身になったときの人というのは、敵に回して一番怖い相手。
 まして、
 除名という最強カードを既に切ってしまった執行部があわてているのは確かだと思いますね。

 

・この考えがあるなら、離党する前に責任を持ってそうするべき。
 どうしたら自分が支持されるのかを逐一反応見ながら行動するから対応が遅れる。
 今回は、国民の反応を見ながらでは遅い問題だったから、
 その対応の遅れが目立ち、変節ぶりが分かりやすい。

 まだ国民の反応見てるだけマシとも言えるし、
 今回の件の変節は、国民の当たり前に近いものだから頑張って解党して欲しいけど、
 なんか出来ないことしないことを支持欲しさに強弁してるんだとしたら、
 最低最悪だよなって思う。
 国民の皆さまに戻すと言う言葉を使ったからには、
 結果を出すためにありとあらゆる手段を講じて欲しい。

 


・なぜこんなに毎日毎日、維新関連の記事ばかりなんだ。
 明らかに、戦略に乗せられてるんじゃないの?

 

といろんな意見がありますが、
最後のコメントじゃないけど、毎日毎日維新関連の記事じゃ飽きてきますね。

 

それも前向きな話題なら良いですが、
政局でもない後ろ向きなことですからね。(やはり私利私欲?)

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国会議員のなかでは資産家であると同時に、知る人ぞ知る借金王でもある松野頼久
我が熊本1区出身で、過去をさかのぼれば、

 

父親の松野頼三細川護煕元首相の政治指南役を自任していたため、
細川氏が結成した日本新党に入ったことが松野頼久の政治のキャリアの始まりなんです。

 

政党スタッフや秘書を経て、細川氏の議員辞職によって熊本1区を受け継いだが、
1998年の補選では自民党岩下栄一氏に敗退。

(この時期ぐらいに九品寺のあるラーメン屋で隣同士になったことがあるんです)

 

2000年の衆院選から4回連続して小選挙区で当選するが、
2012年と2014年の衆院選では自民党木原稔氏に敗退し、比例復活しています。

(実はこのとき私は松野頼久に投票しているんですが・・・)

 

松野頼久に似たセクシーな主人公が登場するマンガに因み、
「特命係長」とあだ名が付けられたみたいで、(見た目はホスト?)

 

過剰に付けた香水も話題になり、
女性秘書の間では、
「廊下で男性香水の匂いをたどっていくと、松野事務所にたどりつく」
と言われたみたいですよ。

 

鳩山内閣のときは官房副長官をし、
鳩山が首相を辞めた後は、小沢一郎の側近として活躍した?そうです。

 

2011年8月に行われた民主党代表選では、
当時の党内で最大の勢力を誇った小沢氏が、
海江田万里小沢鋭仁のどちらを代表候補に選ぶのか注目され、

 

その際に小沢氏の伝令として動いていたのが松野頼久で、
小沢事務所から出てくる松野頼久に、様子を聞こうと記者たちが大挙して群がったそうですよ。

 

まさに民主党のど真ん中にいたはずだが、
松野頼久は2012年には橋下徹大阪市長に接近を図るんですね。

 

劣勢だった民主党にさっさと見切りを付け、
小沢鋭仁らとともに橋下氏の日本維新の会に合流し、
今に至っているんですよ。

 

松野頼久が代表になってすぐに、
「年内に民主党だけではなく他の野党まで含めた幅広い結集をしたい」
と言ったみたいですが、

 

その指南役になっているのは、小沢一郎なんですね。
松野頼久の側近は、

「松野さんは時々、小沢さんに会ったり、一緒に食事をしたりして、
いろんな話を聞いて勉強させてもらっているそうです。
何といっても、自民党から現実に政権を奪った経験があるのは小沢さんしかいない。

93年の非自民連立政権、09年の民主党政権は、いずれも小沢さんの力があってこそ。
寄り合い所帯をどうまとめるのかなど、松野さんは野党再編に向け、
小沢さんからいろいろ学びたいと思っているのです」と。

 

ただ維新にも民主にも“小沢アレルギー”は根強く残っていますから、
“表看板”に立ってもらうことはなくても、
裏でアドバイスをもらい、支えてもらおうと思っているんでしょうね。

 

今の政治に「与野党」という二つの極しかない状態において、
松野頼久というところは「第三極としての存在の在り方」がわかっていないんでしょうね。

 

第三極としての在り方がわからない、
ということは、
そのまま、「与党」との「対決姿勢によって存在意義を出すしかない」という
「批判政党としての存在意義」以外にその存在意義を示す方法ないからで、

 

そのために、松野頼久は、
必死に「野党再編」を叫ぶんでしょうね。

 

でも今の内紛状態じゃ他の政党も嫌気が差すかもしれないし、
そもそも有権者が離れるでしょうね。(私もそのひとり)

 

今度の熊本での総選挙で松野頼久がどういう政党で出るかわかりませんが、
おそらく当選は難しいと思います。

 

橋下徹みたいに国会議員でも無い人でも発信力ある人には見えないし、

いずれにして議員である間は頑張ってくださいね。

 

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