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小泉進次郎無役は安倍首相のプチ“報復”?そして政治家とは何?

政治家と聞くと、
表ではきれいなことを言ってても裏では何か人に言えないようなことをやっているのではないかと
勘繰る人も多いはずです。

 

そういう先入観を持った人が多いと、
正直者で見た目も爽やかな政治家が注目を集め、選挙に出馬すると簡単に当選することがあります。

クリーンな政治家が議員となり、
国民のために仕事をしてくれれば、これほどありがたいことはありませんが、

 

果たして小泉進次郎はそんな政治家なのか?

 

政府は9日の閣議で、内閣改造に伴う副大臣25人と政務官27人の人事を決定し、
閣僚や官房副長官などへの起用が期待された小泉進次郎は、
13年9月から務めていた復興政務官を退任、“無役”となったようですね。

 

小泉進次郎安倍晋三首相が強引に推し進めた安全保障関連法を批判したほか、
内閣改造前に行った講演では「まだまだかけるべき雑巾がけの期間がある」などと、
入閣拒否とも思えるような発言をしていたそうですが、

 

このニュースのコメント(412件)の一部を引用すると、

 

・別に復興政務官じゃなくても、被災地訪問はできる。
 逆にここからが、個人の器が試され、一段と名を挙げる事もできる。

 

・そろそろ、政治家としての実績がほしいよね。
 評論家みたいにしゃべるのは上手いけどそれだけじゃね。

 

・無役になっても、地道に被災地を訪問されるかで進次郎氏の評価が決まるな。

 

・まだまだ若く力は不足していて人気だけが先走りしている一方で、
 立場もあり被災地に足を運んでいたことは確か。
 また政府もこの人の人気に頼っていたことも確か。
 安倍政権とはある程度距離を置いた方が小泉氏の為、また日本の為。
 将来を見据えるとそのように感じる。

 

・前回の選挙では、一番最初に当確!選挙区では圧倒的な得票率!
 間違いなく、総理の器だと思うけど、今は確かに雑巾がけの時!
 この国のどこが汚れているのか、どういう雑巾がけなら綺麗になるのか。
 じっくり、研鑽を積み重ねて欲しいものだ。
 今回外れたことは、良かったのではないか?

 

・安保法制についての発言は軽率だったね。
 俗に言う「浮かれ」が隙間見えたってとこ。
 期待されてるのは確かだけど、まだまだ親の七光りの域。

 

・実績もないのに、陰で批判するのは良くない。不満があるなら対策をするか離党することだ。

 

・結局、政務官として何を行ったのか?
 現地を何度も視察は良いと思うが、その事で何が良くなったか見えない。

 

・進次郎の政治家としての実力がよくわからない。
 ボランティア活動は得意みたいだけど。

 

・先の無い順番で回ってくる大臣になるよりは、
 政治家として、日本にどれだけ貢献できるか、
 憲政史など歴史に残る実績を残せるかどうかがこれからの課題だろう。
 まだ、
 若手だが古い政治体質や官僚の壁等、組織の中で動きにくい事もあるとは思うが、
 将来に期待をしている。

 

・小泉氏が被災地に対し実績があるわけじゃない。
 ただ通うだけではなく政策として実現しなければただの自己満足とパフォーマンス。
 ただ現政権と距離を置いてる時点で限界があるし無役で当然。

 

・彼は後出しジャンケンが多すぎる
 親父と同じでパフォーマンスが上手いだけ
 安保批判も良いけど親父がやった郵政民営化も東北の人困ってるぞ

 

と、いろんな意見が出てますが、
あなたはどう思いますか?

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そもそも国会議員とはをおさらいすると、

日本の国会は衆議院参議院二院制であり、
行政の監督や法律案などをダブルチェックする為の機能とされています。

 

国会議員の仕事は、
(1)法律を作ること、
(2)予算を決定すること、
(3)内閣総理大臣を選ぶことが主な仕事です。

 

国会会期中であれば国会に主席をします。
その他には、党本部への訪問、
政策勉強会や自身の地元選挙区に戻って支持者や各種団体との会合などを行っています。

 

またこの国会議員を別の見方で見れば、

 

とどのつまりはまじめに働いている人間から取れるだけ血税を取り、
それで銀座のねーちゃんの生活費とすべく足しげく通い
床の技術だけはお隣にウリナリさんには負けてはおらず、

 

特に国会議員は一人残らずいなくなっても
この日本という国は何事もなかったように回るほど世の中の社会生活に関わってない、

 

むしろゴミやお荷物といったほうが近い存在であり、
社会的順位はニートの下。

 

また、
他人の足を引っぱったり、
ヒマで気が向いたときに自分に良い様にしか法律や条約を作ったり変えたりしない仕事。

 

なんていう声も聞こえるんです。

 

世界一貧しいといわれるウルグアイのホセ・ムヒカ大統領はこんなことを言っています。 

「お金をたくさん持っている人は、政治の世界から追放されるべきだ」

「私たちは、代表民主制と呼ばれるものを発明しました。
これは、多数派の人が決定権を持つ世界だと私たちは言います」

 

このムヒカ大統領は、裕福な人々そのものを嫌っているわけではないと言う。

「政治の世界では、彼らを分け隔てる必要があります。
お金があまりに好きな人たちには、政治の世界から出て行ってもらう必要があるのです。
彼らは政治の世界では危険です。

お金が大好きな人は、ビジネスや商売のために身を捧げ、富を増やそうとするものです。
しかし政治とは、すべての人の幸福を求める闘いなのです」

 

「彼ら(裕福な人々)は世界を、彼らの視点、つまりお金の視点から捉えます。
たとえ善意に基づいて取り組んでいるときでも、
彼らの世界観、生活観、それに何かを決定する観点を提供するものは、
お金です。

私たちの住む世界が多数派によって統治されなければならないとするなら、
私たちは自らの視点の拠り所を、
少数派ではなく多数派の視点に置くよう努力する必要があります」

 

確かに一部の政治家でお金の視点で考えているような人もいるように感じますが、

 

その政治家が使うお金、どう集めてるのか、
気になって調べてみると、

 

国会議員の給料は毎月10日に振り込まれているようで、
月額は129万4000円。
夏と冬にはそれぞれ300万円近くのボーナスもある。

 

ほかにも手紙代やホテルに泊まるお金として毎月100万円がもらえるし、
JRなどの無料パスも使える。

 

ふつうの会社よりかなり高い給料だから「もらい過ぎ」という批判があるのは当たり前か。

 

一方で「ぜんぜん足りない」と言っている国会議員もいるみたいで、
政治家の場合、
自分の家とは別に事務所の家賃や電気代を払わないといけない。

 

政治活動をバックアップする秘書は3人分まで国のお金で雇えるけど、
国会がある東京と選挙区がある地元と合わせて7~8人は秘書がいるのが普通で、
その給料の負担が大きいらしいです。

 

さらに選挙となると、
新たに事務所や車を借りたり、
人を雇ったりするから1回数千万円のお金がかかるといわれているんですね。

 

給料以外にも政治活動に使えるお金は入ってきます。
寄付とか、パーティーとか。

 

数万円のパーティー券を応援してくれる人に買ってもらって、
「○○君を励(はげ)ます会」という看板(かんばん)を出してホテルで開いていますね。

いちおう食事も出るけど、
お金集めが目的だから払う金額ほど豪華ってわけじゃないそうだけど・・・。

 

パーティーの収入や寄付金が入る政治団体がいくつもある政治家もいるし、
選挙区ごとにある所属政党の支部では企業の寄付も受け取れる。

国が政党に支給するお金が回ってくる分もあるし、
いろんな手段を使って政治資金を集めているみたいですね。

 

集めたお金を若手の政治家に配って、政治の世界で影響力を強めようとする政治家もいますが、
お金の力に頼りすぎると、
たくさん寄付をした企業に有利な制度を作るようにと政治家が役所に働きかけるかもしれない。

 

そんな不正をなくすために政治資金規正法が定められているんです。
法律ができたのは60年以上前だけど、
たくさんのお金をこっそり政治家に寄付する例が何回もあったみたいで、

 

それで、これまでに何度も法律の改正をして、
政治家が一度にたくさんのお金を受け取れなくなるように、
お金の出入りの公開を義務付けたり、
政治家に寄付をする金額を制限したりしているみたいです。

 

収入と支出を明らかにするために、
政治家は金額とその内容を書いた「政治資金収支報告書」を毎年出さないといけないし、

報告書にウソを書いたとなると、
刑務所に入らないといけなかったり、罰金があったりするが、

 

でも政治家個人への寄付が禁止されている企業もパーティー券を買うのはOKとか、
抜け穴といわれる方法もあるんです。

 

政治活動に使うお金の流れをもっと透明にしてほしいという声はまだまだ多いんです。

 

ある現役議員がこんな告白をしているんですね。

 

まず政治家とはそもそも、
大なり小なりそれなりの信念を持った人間が志し、職業として選択します(勿論、例外もある)。

はじめて政治家として選挙に立候補したときは、
「若いから・新人だから」「何かをやってくれそうだから」
というふわっとした理由と期待で、誰もがある程度の支持者を獲得するものです。

何ら後ろ盾のない青年が、
ガムシャラな熱意だけで当選することもあるでしょう。

 

しかし、
政治家が政治家になるためには、そこから本当の試練が始まります。

議員ともなれば、
あらゆる社会課題に対して、自らの意見表明を求められます。

 

「ふわっとした期待」で彼を応援していた支持者たちは、
その新人議員が自分の考え・政策と異なる姿勢を示した途端に、

「そんな人間だと思わなかった」
「期待していたのにガッカリ」
「すっかり変わってしまった」
口々にそんな言葉を浴びせて、彼から距離を取り始めます。

 

もちろん政治家たちにもふわっとした支援者だけではなく、
理念や想いを語り合える「同志」が存在します。
彼らと理想を語り合うとき、
その政治家は決して孤独ではありません。

 

しかし、
彼が政治家としてのキャリアを重ね、いずれ社会を変革できる権力に手をかけた時、
その関係は終わりを告げます。
なぜなら政治には、ほぼ確実に何らかの妥協が必要となるからです。

 

権力からほど遠い位置にいるとき政治家は、
現状を憂い、理想を力強く語ります。

 

しかし、
その実現が可能となる地位についた時、
多くの場合その実現困難に直面します。

「自分の理想だけを主張し続けていては、何も変わらない」

「現状から何も進まないよりは、60点でも変化を起こすべき」

 

政治家が政治家足らんとすれば、
ふわっとした期待で集まる支持者たちからは突き放され、
熱く語り合った同志からも見限られる覚悟が必要になるのかもしれません・・・と。

 

ところで、
私たちは、国会議員でも、地方議員でも、知事でも市長でも選挙で選ぶ場合、
きれいで頭も良く行動力のある正義の味方のような候補者を探そうとするでしょう。
しかし、そのような候補者が現れることはほとんどありません。

 

私たちが選ぶ候補者は究極的に以下の2種類だと思うべきです。
政治家を選ぶ際に、
究極の選択として、どちらを選びますか。
 
「悪いこともやるけれど、政治的な能力がずば抜けて高い人」
 
「いっさい悪いことはしないけれども、政治的能力がない人」

あなたはどちらの候補者を選びますか?

 

私なら、迷わず前者を選びます。
やるべきことをやってくれれば、どんなに悪いことをしても構わないとまでは言いませんが、
国民が暮らしやすい社会を築いてくれるのなら、少々の悪事には目をつむります。

 

それに私たちももっとしたたかになって、自分たちの理想のために政治家を利用し、
用がなくなれば捨てるくらいの気持ちでいた方が良いでしょうね。

 

議会制民主主義の中で理想を掲げつつも「清濁併せ呑む」といった大きな度量を持つ政治家による、
斬新な発想と実効性を伴った政治、

それが、
どんな時局情勢においても日本の政治家に期待されるものと、私は思います。

 

きれいさばかりを政治家に求めていても、良い社会にはなりません。
腹黒いけどやり手の政治家を選び、目的達成後、速やかに政治の世界から追放する。
国民もこれくらいのしたたかさを持って選挙に行くべきですよ。

 

そして、
政治家は、自分の将来を優先に考えるのではなく日本の将来を真剣に考えて、

 

特定のイデオロギーにとらわれることなく、

その時代時代において国民が何を求めているか、

日本にとって何が大事であるか、

を極めて政治をリアルに考え、

具体的に政策を打ち出す姿勢が大事なように思いますが・・・。

 


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